嫁の気持ち姑の気持ち

現役の嫁であり姑でもある自分ですが、嫁としての愚痴をはきます。

舅の三回忌

舅が亡くなって丸二年。今年は3回忌の法要でした。

義兄から何の連絡もないので、年忌供養はどうするの?と聞いていました。なぜなら、義実家との関わり合いは極力避けたかったからです。「兄貴に聞いてみるよ」そう言いましたが、返ってきた答えは「お金が無いからやらないんだって」でした。

私にしてみれば「は?」な答えでした。だって、戒名に5~60万出したのですから。

でも、お金が無いと言うなら仕方ない。「何も豪勢にやらなくていいんだよ。お義兄さんとお義母さんとあんたの3人でお寺さんでお経だけ上げてもらえばいいじゃない。」そう言いましたが、返ってきた答えは同じでした。たとえお経に5万かかるとしても、3人で出し合えば、負担はそんなにかかりません。それでもやらないと言うのです。何がなんでも年忌供養をやらなければいけないというものでもないでしょうが、気持ちの問題です。まあ、舅が亡くなってから、義兄も姑も一度も墓参りはしませんし、お墓のお世話はいつも家です。私もほっておけばいいようなものですが、やはり気になってしまうので、墓参りはかかしません。今年のお彼岸に墓参りに行った際、霊園のお寺さんに法要のことを聞いてみました。そしたら、法要を行う人が多いのですね。命日のぎりぎり前の日にかろうじて空いているくらいでした。迷いましたが、その場で申し込みました。最初は主人と私だけと思いましたが、子供たちにも声をかけてみました。子供たちはじぃじとばぁばのことは大好きです。それぞれ家族全員で参加してくれるということになりました。こういう時、私は義実家の悪口を言わなくて良かったと心から思います。子供たちにとっては、大事なおじいちゃんとおばあちゃんですからね。

ひっそりとやろうと思っていた3回忌ですが、塔婆の連絡をお寺さんに連絡するのをすっかり忘れてしまったため、義兄の方へ連絡が行き法要がばれてしまいました。何かのリアクションがあるかな?と思ったら、姑の名前と義兄の名前で塔婆を立ててほしい。お金は立て替えておいてとのこと。「............。」お墓は義実家からも義兄宅からも1時間あれば来れる距離です。お金が無いと言いますが、家はもっと貧乏です。繰り返しますが、義兄は今でこそ再雇用の身分ですが、大手都市銀行の銀行マンで、ベイエリアの高級マンションに住んでます。姑も舅の遺族年金と自分の年金があるじゃないですか。3千円の塔婆代を立て替えろと?すみません、法要の費用、私の微々たる障害年金からも負担してるんですけど。お姑さん、あなたは仏壇だのなんだのとお金使ってますよね?見えるところと自分にはお金使いますよね?お嫁さんにイジワルするお姑さんってどうしてこう見栄っ張りが多いのですかね。

法要の後、子供たちも少しづつ負担してくれて、食事会となりました。最初は予定に入れてなかったのですが、亡くなる少し前から食べられなくなった舅のために陰善も用意しました。お嫁さん同士も話がはずみ、とても良い交流の場となりました。あ、こういう風に書くと、家の子供たちが出来の良い子に思われそうですが、若干1名を除いては、問題ありありで苦労させられましたが、それはまた別の話。

今日は姑が耳の手術が終わって退院した日。私はノータッチです。朝から主人がバタバタと仕事の合間を縫って動いています。還暦の主人には、仕事だけでもきついだろうに、親の世話も入ると病気になってしまうのではと思います。よっぽど「手伝おうか?」声をかけそうになりますが、関わったことによって、また私の心がブラックになるのもイヤですし、だいたい私の心をここまで凍らせてしまったのは、あなたとお姑さんでしょう。人はいつどこで、だれに世話になるかわかりません。別に見返りを求めるわけではありませんが、それを思うと人にイジワルなんてできません。また、自分がよそのお年寄りに親切にしたことによって、巡り巡って、年老いた自分の親が、よその人に親切にされるかもしれません。そう思うと、人を見下したりバカにしたりなどできないのです。イヤだなと思ったら、そこから離れればいいだけです。私はそう思います。

最近「離婚」がよぎります。

一年もほっておいてしまったなあ.....。

なんだかブログと言っても、悪口と単なる愚痴にしか思えなくて、それが良いことだとは思えず、書くのを止めてしまいました。

最近は離婚をずっと考えてます。

60を目の前にして、仕事もお金も無い自分が離婚なんて無理って思いながら、気持ちはどんどん離婚へ向いていくのです。

気が付いてしまったのですよ。私は大事にされてなかったって。愛されていないって。

映画を見ながら、「ああ、愛されるってこういうことだよねえ」って実感します。

昔、愛された時の感情がどわーっと胸に溢れてきます。

それは一時の情熱なんかじゃなくて、温かさに包まれた思いやりのようなもの。

妊娠をきっかけに、結婚の方向へ話が進みかけたころ。姑に子供は諦めるようにと説得された。私はすごく産みたかった。産むつもりだから、親に相談に行ったのです。

もう40年も昔のことだから、記憶が薄れているけれど、結局は親には逆らえず、中絶しました。

今日たまたま、ある人と話していて、「その時ご主人は何て言ったの?」「その時点で、ご主人が産めって言わないなら、私なら結婚しないなあ」

そうだよね。そうだった。やっぱりここでも自分の弱さ、幼さが露呈する。

そういう選択肢もありだったんですよね。もう少し賢く強かったら、私は結婚してなかったかもしれません。なんだか過去にさかのぼればのぼるほど、私って大切に想ってもらっていたの?って疑問が湧いてきてしまうのです。

正直、今も全然愛情を感じません。

女はいらない?

私より半年早く義兄嫁が男の子を出産しました。義家にとっては初孫です。義兄嫁は実家で出産。お宮参りは遠方にもかかわらず、義両親、姑実家の全員が、義兄嫁実家まででかけて(押しかけて?)お参りしました。実家から戻った義兄嫁は、しばらく義実家に滞在しました。休日は義実家に行くことが至上命令(笑)だったので、その一部始終を目にすることになります。姑は、孫をまるで自分の子供のように抱いて離しません。ミルクをやるのも、母乳の時以外は姑です。完全に「母」をやってました。そして、頭を剃れば良い髪が生えてくるからと言って、お宮参りがすんだばかりの赤ちゃんを、床屋に連れていき頭を剃ってしまうのです。私は恐怖でした。私も赤ちゃんを取られてしまうかもしれない。そんな思いでいっぱいでした。第一子の時は、実家に帰ることができたのですが、「赤ちゃんが取られる」思いでいっぱいだった私は、仕事をしながら面倒をみてくれている実母に対しても(意識してなかったのですが)、抱かせようとしなかったらしく、姉に「たまにはお母さんにも抱かせてあげなよ」と、言われる始末。今思うと母には申し訳ない気持ちでいっぱいです。第一子は女の子でした。可愛くて可愛くてしかたありませんでした。しかし、出産後娘を連れて義実家に行った時、姑に言われた言葉は「女はいらない」でした。女はいらない?なにそれ。意味がわからない。いいんですけどね。むしろ赤ちゃん取られたくなかったですから。それより、「なんでそんなこと言うんだろう」と、?マークでいっぱいでした。

第二子、第三子の時は、姑が自分がみると言ってきかなく、実家へは帰れませんでした。波風立てたくないばかりに、強く断れなかった自分がいます。でも、イヤでイヤで、さすがに第三子の時は、3日間だけと条件をつけてお世話になりました。

ところがです。退院したその日。姑は義兄嫁と大喧嘩をしました。義兄家族が、今私がいる家に住んでいる時です。何が原因かはわかりませんが、姑は幼稚園のカバンと甥だけを連れてきました。私は訳がわかりません。あとから義兄が来て、そこから姑は食事の支度もそっちのけで、義兄に対して、義兄嫁の悪口オンパレード。可愛そうなのは甥っ子です。不安そうな顔で二人を見ています。そりゃそうでしょう。お母さんとおばあちゃんがケンカをして、いきなり連れてこられ、今度はお母さんの悪口を聞かされているのですから。子供にこの状況はさすがにまずいと思い、私は寝間着をまくって甥っ子をお風呂に入れました。お風呂から上がっても、姑の文句は続いています。仕方なく私は甥っ子を寝かしつけました。産後の休養どころではありません。身体もしんどく、自宅に帰って休みたい気持ちでいっぱいでした。あの時の事を思い返すと、誰も私の身体を気遣ってくれる人はいなかったんですね。姑の自己満足のために振り回された日々でした。あの頃、何が怖かったんだろう。どうして自分の意志を押し通せなかったんだろう。いくじのない自分に腹が立ちます。

旦那の自己破産

旦那が自己破産しました。末っ子が小学6年生でした。旦那の幼馴染みの会社の借金の保証人になり、踏み倒されてしまったのです。「その時」まで、私は何も知らされてませんでした。義実家の、義兄とも違う隣県に自宅を構え、姑の奇襲にあうことも少なく、精神的には気楽に過ごしていました。それが、借金を踏み倒した張本人からの電話で、状況は一変しました。それからのことは、記憶が飛んでいます。

義兄は、将来親と一緒に住もうと考えていたのでしょう。義実家の近所に家を買いました。けれど、義兄嫁と姑が仲がよろしくないので、隣県に億ションを買いそこに住んでいました。義兄の厚意で、私達は義兄の家を借りてそこに住むことになり、さらに、旦那の会社の運転資金の借金の保証人が、義兄だったため、義兄には迷惑をかけてしまいました。義兄には足を向けて寝られません。けれど、それからは針のむしろでした。夫婦して義両親、義兄夫婦を前にして土下座です。土下座しながら私は心の中で「なんで?なんで?私保証人なんて知らなかったよ。それに、私が作った借金じゃないよ?」と、心の中でずっと思っていました。私は鬱になり、末っ子の卒業式も入学式も行くことができる状態ではありませんでした。病状が重くなり、入院を余儀なくされました。そういうことは、旦那は義実家や義兄に一切話さなかったため、なぜ私が働かないんだと責められ、そこでやっと、旦那は私の病気の事を話してくれました。義兄にしてみれば、旦那にお金を貸してるわ、家を貸してるわ(家賃は払ってます)で、当然ですよね。その時はどうやって生活していたのか、全然思い出せません。とにかく辛かったです。旦那は今までと同じ業界の別の業種の所へ修行に3年行って、自営として仕事を始めました。修行の間は月給15万。長女と長男の助けを借りながら、食べていました。鬱が重かった時は何も考えられませんでしたが、回復するにつれ、私はふつふつと怒りが湧いてきました。旦那に対してです。なぜ、6000万などという大金の保証人になったのか?なぜ、一言私に相談してくれなかったのか?大体、あなたは家族に謝ったのか?あなたのせいでこんな事態になったんだよ?数年前までは、その思いが心の底にずっとありました。誰のせいでこうなったの?そう叫びたい時も何度もありました。でも、主治医にそれは絶対言ってはいけないよ、と、きつく言われていたので、口にすることはありませんでした。態度には出ていたかも知れませんがw

義実家近くに越したおかげで、私にはまた、姑と関わらなければならない日常が始まりました。借金は夫婦の責任、そう言ってはばからない姑と、迷惑かけて!と、露骨に態度に表す義兄嫁のなかで、私はまた、NOと言えない嫁に戻りました。

ね、「誰のせいでこんな思いしなきゃならないの!」旦那を責めたい気持ちわかってもらえるでしょうか。鬱病になってしまった私には、離婚という選択肢はありませんでした。

姑はアダルトチルドレン

きましたきました。義兄から旦那へのメール。1週間後、舅の1周忌の法要があります。義兄は妊娠中の姪を乗せていくため、姑の喪服(洋服ですが)の着付けとお世話、送り迎えを頼んできました。いつもそうです。私に直接頼むのではなく、姑→義兄→旦那という順番で回ってきます。わけわからん。家には車は仕事用のハイエースしかないことになっています(本当は自家用車ありますが、内緒です。そのいきさつは機会がある時に書きます)。仕事用なので、後ろには資材が積んであり、普段は二人しか乗れません。なので、旦那に姑を迎えに行ってもらって、私は長男か次男の車に乗せていってもらえるように旦那に頼みました。

姑はずっと前から自分はパーキンソン病だと言って聞きません。不倫事件の時の姪の結婚式でも、パーキンソンだからと、孫に靴下を履かせてもらい、日常では下着から舅に着させてもらってました。なので、今回も下着から靴下まで着させるの必至です。イヤです。なぜかというと、私はもともと介護士なので、パーキンソンの方と接することもあり、パーキンソンには独特の特徴があるので、だいたいわかります。そして何よりも、パーキンソンで服の着脱がままならない人が、車であちこち出かけられるでしょうか?しかも、普段はノロノロ歩くのに、何か気になるものがあると、サッサと歩くのです。自分がめんどくさいことはやらない、同情を集めたい、わがまま病のようにしか私には見えませんでした。結局、私が付き添って大学病院を受診しましたが、結果はパーキンソンではありませんでした。(本人は納得しませんでしたが)けれど症状は訴え続けるし、町医者で処方してもらっていた睡眠薬のこともあったので(内科で30年以上出してもらってます)、精神科も紹介してもらいました。精神科では、自分のプライベートな部分に立ち入ります。なので、診察室に私が入るのは躊躇われました。姑に「どうする?」と聞いたら、一緒に入ってというので、診察室の隅っこで同席してました。飲んでいる睡眠薬は強いし、高齢者には良くないので調整が必要とのことでした。何回目かの診察の時です。オイオイ泣きながら「自分の母親が憎いです!」という姑にびっくりしました。だって......姑の母親って15年近く前に亡くなってるし、姑自身だってその時70代後半。そんなことその歳になって言う?相手死んでるよ。正直ドン引きしましたが、姑はアダルトチルドレンなんだなあと、思いました。ですが、ばーさんですよばーさん。そして、診察後に私に言った言葉。「嫁で良かったわ。息子にはこんな姿みせられない」は?逆じゃないっすか?逆。少なくとも自分は、自分の子供にありのままを見せますけど。姑の心理が理解できなくて、自分の主治医に尋ねたことがあります。きっと姑は、息子には理想の母親(恋人でないかい?w)でありたいのでは?というお答えでした。う~ん、なんかこの辺に嫁姑のキーワードが隠れていそう。息子には理想の母親。嫁は.....嫁は、どうでもいい?自分さらけ出しちゃうから、イジワルもする?嫌味を言う?よくわからないなあ。

もちろんこのことは、旦那には言ってません。姑の秘密ですからね。けれど、この人とおつき合いするのしんどいなあと、あらためて思った出来事でした。

片親っていけないこと?

先日、長男のお嫁さんのお母様と電話でお話しすることがあって、話題が、今月式を挙げられるお嫁さんの弟さんの話題になりました。お嫁さんのご両親は常識的でとても良い方です。話の途中で「お嫁さんのお母さんが離婚されてて......」と言いかけられたとき、思わず「家もそうですよ~、私も片親です」と、思わず話をさえぎってしまいました。次にでる言葉が怖かったからです。少なくともいい雰囲気の言葉がでそうな感じではなかったからです。私も中学性の終わりに、夜逃げのような形で姉と私と母の3人で家を出ました。DVがあったからです。父の看取りはしましたが、いわゆる母子家庭です。私は働きながら高校へ通いました。母も苦労したと思います。

お姑さんに言われた言葉に「片親で家庭がきちんとしてないところは、ろくな子供が育たない」があります。もちろん、私に向けられた言葉です。今時(私は若くはありませんが老人ではありません)、そんなんあるの?とびっくりしました。片親だと家庭がきちんとしてないの?両親がいつも険悪で、母親がピリピリしてる家庭よりは、片親家庭だって楽しく暮らした方が、良い家庭だと思いますけどね。そんな感じですから、家の母親に対しては、軽んじた対応を取り、実家に行くのにもいい顔をしませんでした。だから、姑の前では、実家の話は一切しませんでした。

そして、長男のお嫁さんのお母様。良い方なのに、息子さんのお嫁さんに対しては少々辛いようです。裏を返せば、とても息子さんを愛してらっしゃるのだと思います。でも、未だに、「片親」ってことを気にする方がいらっしゃるのには、正直ショックを受けました。子供が選んだ伴侶。よほど変な人ではないかぎり、受け入れてあげたいと思います。結婚生活でアクシデントがあろうが、それは子供の人生。応援や助言や手助けはするけども、子供の人生は子供のもの。親が介入すべきではないと思います。おバカな私だから、結婚生活、順風満帆だったら、こんな考え方にはならなかったかも知れません。姑に介入されまくったから、こういう考えに行きついたのだと、今は思えます。姑に感謝ですね。

おバカな私其の弐

なんだか吐き出すつもりで始めたブログですが、結局悪口の羅列なのかな?と思うと少し気が重いです。悪口はなるべくなら言いたくありません。

いろいろ考えていたら、結局、旦那が悪いに行きつきました。お姑さんで苦労されてるお嫁さんのブログを拝見してると、旦那さんがしっかり防波堤になって、お嫁さんの味方になられているところは、離婚も無いですし、お姑さんが考えを改められてる例も見受けられます。そうでない所は、それなりにw

次男のピンポンの一件で、旦那と大喧嘩をしました。私が書いた手紙に腹立てたんですね。まあ、手紙の内容は、私も感情的になってて、ちょっとストレートすぎたかなあという所はありますが、旦那の言い分は「なんでその時に言わないんだ!」でしたけど、言えませんでしたよ。原因は何だったか忘れましたけど、姑の意向と違ってもめた時、主人は私を完全無視しました。あ、結婚式だったかな。意見を無視ではなくて、私を無視。

まるでモラハラ夫みたいです。それこそ孤島に一人取り残されたみたいな気持ちでした。まだまだ旦那大好きだったから、関係修復?に必死になりました。そんな思いがあるから、旦那に姑の事なんか言えやしないですよ。私も本当におバカだったんですね。やりようは色々あったと思います。旦那が大好き、それだけだったんです。若かったんだなぁ。その時の自分に会ったら、「よく考えて、よく周りを見て」と言ってやりたいです。でも、恋は盲目と言いますからねえ。無理かな?

結婚式もどうでも良かったんですが、前年か前々年に義兄が結婚したのがあって、姑としてはどうでもよくなかったんですね、親戚の手前。20歳と19歳の自分達には式を挙げるお金はもちろんありませんし、家も母子家庭だったので、お金なんてありません。かといって、私を妊娠させてしまった手前、結婚させないわけにはいかないし、そうなれば結婚式を挙げないと、メンツが立ちません。で、義家の互助会を使って式を挙げることになったんですが、それも揉めました。その時、義兄に「花嫁がいなくても式は挙げる」と言われ、今思うと爆笑もんですが、真面目に言われました。式の打ち合わせ、準備、衣装、全て姑、姑親族総出で決めました。お金出すのは向こうですから、口は出せません。お飾りみたいでした。式に出席した友人に、「なんか二回目三回目の花嫁さんみたい」と言われました。ふてくされてたからでしょうかね。